合気道研心会の会員の皆様にお聞きした「合気道体験談」です。
目黒さん(参段)に聞きました
会社退職後に合気道を始め、現在も元気に稽古をなさっている方の合気道体験談です。
参段昇段試験体験談もあわせてご一読下さい。
質問と答え
- 合気道をはじめられたのは、お幾つの時ですか?
- 平成5年6月の64歳からです。
- きっかけは何だったのですか?
- 62歳から新宿で太極拳を始めましたが、一年程で何となく、物足りなく感じた処、狭山市の公報により、武道館で合気道を始めました。
- 若い頃に何かやっていらっしゃったスポーツはあったのですか?
- 夏は海で水泳・水上スキー、冬はスキー・スケートを。
- どんなお仕事をされてこられたか教えていただけますか?
- 石油の販売会社の営業、乗用車の販売会社の管理職
- お好きなTV番組はありますか?
- 時代劇なら何でも好きですよ。
- 好きな俳優・歌手はいらっしゃいますか?
- 阪東妻三郎、ジャン・ギャバンがいいですね。
- 元気に稽古を続けていらっしゃる健康の秘訣はありますか?
- 健康の秘訣は何と云っても合気道を続けている事ね。
- 合気道を続けていらっしゃる事について奥様はなにか仰いますか?
- 合気道を続けることは大賛成だけど、稽古着の洗濯が重くて大変だと云われてしまいます(笑)
- 年配になってから合気道をはじめる方々に、先輩としてひと言お願いします。
- 中国では、60歳になると現役を退いて健康の為、太極拳をするそうです。合気道は護身術に徹している
伝統武道で、健康の為にも大変良く、戸を開閉する力があれば、だれでも出来ますので、むりをせず、
長く続けられると良いと思います。 - 最後に、目黒さんにとって合気道とは何ですか?
- 若い人たちと共に,稽古を一生続けられる楽しみだと思います。
注釈
注意1:大東流→合気道の一派。注意2:文章は目黒さんご本人がお書きになったものを忠実に表記しました。漢字の旧使用方法、旧仮名遣い(え→へ、言う→云ふ、
前の語を繰り返す(ただ→たゞ)→ゝ、)は、文章の雰囲気、目黒さんの心情をよりお伝えする為にそのままと致しました。
編集後記
実に楽しそうに稽古をする目黒さん。道場でお会いすると、その朗らかな笑顔に、こちらが元気を頂いています。目黒さんといえば、私が覚えているのは、突然の雨に、奥様が目黒さんのために傘を持っていらっしゃった、ある雨の日のこと。
目黒さんが、「おいおい来るなよぅ」と、とっても嬉しそうに、恥ずかしそうに、傘を受け取ったあの姿。「仲良き事は美しき事かな-武者小路実篤」を髣髴 (ほうふつ)とさせる、「狭山台道場での一こまでした。どうぞいつまでも、お元気で、研心会の「ご老公様」でいてください。
参段昇段試験 体験談
七十三才定年の政党もあり、普通の七十四才と云ふと、引退が常識ですね。しかし、平成十年の四月八日付の朝日新聞の記事に、大東流※の佐川幸義師範 (九十五歳死去)のについて「技は七十代ですごく進歩した。七十代は一番件研究がはかどる。」「武道家に引退はない」と云っていた。そして死の前日迄稽古 したそうです。
私は武道家でも何でもありませんが、今後共、皆さんと、稽古の仲間に入れていたゞいて、枯れ木も山の賑わいとして、末永く面倒を見ていたゞいて、皆 さんに対しては「老害」なならぬ様、常に気をつけます。又、若い皆さんには私の経験をできるだけ正しく伝えて、少しでも「老益」になるようにできればと思 います。
今回のテストでは、八月頃から週五回の稽古、九月からはパートの仕事も止めて、週六回の稽古と―。十月一日から禁酒。寝ても覚めても合気道が頭から はなれない、他の事は一切考へに入らない、状態でした。それでいて、おぼえる事―、よりわすれる方が早いし。ひざ・腰・肩の痛みが何時出るか、非常に不安 でした。
畑山先生を始め、諸先生方の真剣なご指導と、「受け」をして下さいました皆さんには、一方(ひとかた)ならないお世話になり心からお礼申し上げます。
最後に私の感想 ガッッポーズ!! 目黒